組織、団体名

全日本空手道連盟

糸東会 

糸東流 正修館 東大阪


師範(責任者)

  辻 範修 

指導員

  永間 俊一

  佐藤 優 

  山中 英明

糸東流とは


空手道の四大流派の一つに挙げられる。

開祖の摩文仁賢和は、 糸洲安恒より首里手を、
東恩納寛量より那覇手をそれぞれ学び、兵役終了後、警察官になった後も、地方に隠れた首里手、那覇手以外の形・技法について模索し続け、松村派、新垣派などの各派を修め、空手以外にも琉球古武術の棒術、釵術を学び、のみならず神伝不動流などの本土の柔術も学んだ中で、全ての技術と精神を融合、融和させたものが糸東流空手道である。

その技法上の特徴は、単に突き蹴りだけでなく、投げ、逆技といった技術をも含み、まさに総合武道の様相を呈する。また、「守・破・離」(基本を忠実に・それを応用し・そこから独立する)という言葉に代表される様に、形という基本を守りながら、それを応用し、組手と結び付けていくことによって作り上げられた分解組手などに、その奥義までをも修めることが出来るように体系づけられている。

また、精神教育に重点を置いた摩文仁賢和は「君子の拳」を標榜し、円満な人格の形成・向上を目指した指導を行った。

基本鍛錬として巻藁を使用した突き・蹴りの鍛錬や、砂利の上での正拳腕立て伏せなどより実践的な肉体鍛錬に重きを置いているところは実践的な流派ならではと言える。

正修館とは


西田 稔 糸東流空手道師範八段

糸東流空手道正修館 初代館長・師範

昭和16年3月 愛媛県大洲市生まれ
昭和28年4月 沖縄正統空手道修道館 遠山寛賢先生に師事
昭和36年9月 東恩流 許田重発先生に師事
昭和39年4月 糸東流 摩文仁賢榮先生に師事
平成28年12月21日 午前4時40分 逝去 享年75歳


平成28年12月21日、糸東流空手道正修館館長 西田稔師範が、慢性白血病のため御逝去されました。享年75歳。
西田館長は昭和16年、愛媛県大洲生まれ。12歳の頃より、現在では拳道学として著名な大西栄三師範の元で本格的に空手を習い始める。この大西師範の縁で、糸洲安恒の高弟である修道館・遠山(親泊)寛賢師範に師事。その数年後の昭和36年、再び大西師範の縁で、東恩納寛量の高弟である東恩流・許田重発師範に師事した。
昭和36年、若干20歳の頃に、東京都は十条に自らの道場である正修館を開き、修練を重ねる。その後、仕事の関係で一時期大阪に住むことになり、このとき、大阪に居を構える「糸東流二代目宗家の故・摩文仁賢榮」と出会うこととなる。摩文仁賢榮宗家は糸洲と東恩納から学んだ糸東流流祖・摩文仁賢和の長男である。昭和27年の賢和没後、二代目宗家として、また武道家として、体力気力ともにまさに油が乗っている賢榮宗家の空手を見た瞬間、自分が習ってきた首里手・那覇手と同じだと西田師範は直観し、摩文仁糸東流門下となった。遠山(親泊)寛賢師範、許田重発師範、摩文仁賢榮師範と、首里手と那覇手を本土に伝えた沖縄空手の大家たちから空手を学んだ西田師範。以後、一生を空手に注ぎ、その本質を求め続け、師の教えに沿って錬り続けたその術は、沖縄の手の、首里手と那覇手の、本質そのままを正統に伝えるものであった。

※出典:月刊『秘伝』web秘伝トピックスhttp://webhiden.jp/learn/category2/news/post_90.php